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広島地方裁判所 昭和43年(行ウ)35号 判決 1971年12月21日

原告

上東初一

右訴訟代理人

岡秀明

被告

呉労働基準監督署長

松島清

右代理人

長谷川茂治

外四名

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判《省略》

第二、主張

(請求の原因)

一、亡上東千代美は呉市広町一六、七二〇番地の二六一所在の呉農業協同組合広南支所(以下「広南支所」という。)に貯金係兼物品販売係として勤務していた者であるが、昭和四三年一月一八日午前七時四〇分頃、右広南支所内において訴外細藤武一に刺身包丁で刺され、頸動脈切断のため死亡した(以下「本件災害」という)。

二、原告は、右千代美の父親であるが、右災害につき、被告に対し労働者災害補償保険法による遺族補償一時金及び葬祭料の給付を求めたところ、被告は昭和四三年三月二八日広呉第四六六号をもつて右給付を行わない旨決定した(以下「本件不支給決定」という。)。

本件不支給決定を不服として、原告は同年五月一日労働者災害補償保険審査官に対し、本件支給決定の取消しを求めて審査願求をしたが、三か月を経過してもなおその決定がなされなかつたため本訴に及んだものである。なお、右審査請求は、昭和四六年二月二六日棄却された。<後略>

理由

一、請求原因一、二項の事実(本件災害の発生並びに本件不支給決定及び不服申立の経緯)については、当事者間に争いがない。

本件の争は、亡千代美の死亡が労働災害補償保険法一条にいう業務上の事由による災害に該当するか否かにあるので以下判断する。

二、そこでまず、亡千代美が死亡するに至る経過につき検討する。

(1)  亡千代美の勤務状況

広南支所は、貯金業務及び物品販売業務を内容とする呉農業協同組合の支所であり、亡千代美は、昭和三八年三月一日から右支所に勤務し、本件災害当時、貯金係兼販売係として、貯金の受入れ、払戻し業務及び物品の販売業務に従事していたこと、広南支所の従業員は原告主張のとおり亡千代美を含めて計四人であり、午前八時から午後五時まで営業していたこと、夜間の警備は訴外森岡繁登に委嘱していたが、同人は午前七時頃帰宅していたこと及び亡千代美は他の従業員より早く午前七時四〇分頃出勤し、右支所の隣家池田文子方に預けていた鍵で店舗をあけ、同八時の開店まで一人で店舗内において開店準備をするのが通例であつたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(2)  本件災害の発生及びその経緯

<証拠>を綜合すれば、次の事実が認められる。

訴外細藤武一は、昭和四一年三月頃、広南支所へ日用品等を買いに行つたとき、販売係として働いていた亡千代美を見知り好感を持ち、当時は単なる好意を感ずる程度であつたが、以後何回か同様の買物に行つて亡千代美に会つたり、通勤途上途上の同女に会つて挨拶をかわしているうちに恋慕の情を持つに至り、昭和四二年暮れ頃には同女と結婚しようとまで考えるようになつた。しかし、二人の間に個人的な交際はなかつた。右訴外人は自分の感情を同女に伝えることができず一人悩んでいたが、たまたま、本件災害の前日午後七時頃、呉市広町の広球場付近の上中田ガソリンスタンド前を亡千代美が若い男性(同女の婚約者)と親しそうに歩いているのを見て、これでは自分と結婚してもらえそうにないと思い、その夜、同女のことを考えて眠れない一夜を明したのち、当日午前七時頃、ついに「同女に会い話の次第では同女を殺して自分も死のう」と決意し、自宅にあつた長さ二〇センチメートルの刺身包丁二本、長さ一五センチメートルの果物ナイフ二本を身につけて家を出て、午前七時三〇分頃広南支所の前で、出勤してきた同女が表入口の戸をあけて店舗内にはいるのを見つけてその後を追い、表入口から三ないし四メートル店舗内にはいつたところから同女に対し「夕べはどうしたんか。」「「あんたはひとと結婚するのか。」と問いかけ、同女がはつきりした応答をせず笑いながら奥の方へはいりかけたので、自分と結婚してくれることは到底望みえないという失望感と、なぶりものにされたという腹立たしさからいきなり所携の刺身包丁で同女の頸部を刺傷して本件殺害に及んだものである。なお、右訴外人は殺害時重度の心神耗弱ないしは心神喪失の状態にあつた。

以上認定した各事実に反する証拠はない。

三、ところで、労働者災害補償保険法にいう業務上の事由による災害と認められるためには、労働者が労働契約に基づく使用者の従属関係にある場合において(業務遂行性)、業務を原因として生じた災害であり、しかも業務との間に相当因果関係が存する場合(業務起因性)であることを必要とする。

そして、業務遂行中に生じた災害は業務に起因するものと推定されるが、その場合においても、第三者の暴行による災害は、他人の故意に起因するものとして一般的には業務に起因するものとはいい難く、第三者の暴行と被災者の職務の性格内容がどのように関連するかなどを考慮し、災害が明らかに業務と相当因果関係にあると認められる格別の場合に限り、その災害は業務上の事由によるものというべきである。

これを本件についてみると、本件災害が亡千代美の業務遂行中に発生したことは、被告も認めるところであるが、前記認定した事実から、本件災害は訴外細藤武一の故意による殺害行為により生じたもので、その動機は、右訴外人が一方的に亡千代美に恋愛感情を持ち、同女との結婚を望んだが、これが実現できそうになかつたことにあることが明らかである。そこで、本件につき、殺害行為が業務に起因すると認められる格別の事情があるかどうかについて検討する。

(1)  亡千代美の職務行為が暴行を直接誘発したという関係ではない。

亡千代美の職務内容として、店舗に不法乱入者があつた場合に退去させることも含むと考えられる。訴外細藤武一が個人的感情を持つていたにしろ、亡千代美の職務による退去強制行為が暴行誘発の一因となつているなら、業務起因性を認め得る場合があり得るが、本件においては前記の如く、亡千代美の退去強制行為が暴行を誘発したとの事実は認められない。

(2)  亡千代美の職務内容が暴行を間接的に誘発しているが、それは偶然に過ぎない。

訴外細藤武一が亡千代美を知り恋愛感情を持つに至つた契機として、同女が広南支所で販売係をしてこれに接した事実を挙げることができる。そして、右販売係の職務内容として、外来者と接することが必要であるが、しかし、接触の仕方は、世間一般の販売係と同じく事務的なものに過ぎないのであつて、その職務内容が、ことさら恋愛感情やそれに基づく反感や怨みを誘引するものであるとはいい難い。すなわち、訴外細藤武一が恋愛感情を持つに至つたのは全く偶然であつて、亡千代美の職務内容と本件災害との間には相当の因果関係がない。

(3)  原告は、広南支所が開放的なものであり、かつ、金品を保管しているところから犯罪者や変質者に狙われ易い職場であり、亡千代美が早朝ひとりで開店準備をしている間は殊にそうであつた点が、業務起因性を基礎づけることを強調する。しかし、職場の危険性が格別な場合、例えば、他からの加害がしばしば見られる職場でありながら、職務のため敢えてこれを遂行中災害に遭つたという如き場合には、その災害に対し職場の危険性が業務起因性を基礎づける(業務自体から被災したと同視し得る)ことがあるとしても本件の職場はかような場合に当るといえない。殊に本件においては、訴外細藤武一は前記の如く金品の奪取を目的としたのではないのであるから、金品の保管のある職場であることは災害の業務起因性と関係がない。

以上の次第で、本件災害は業務上の事由による災害ということができない。

四、結び

従つて、本件災害が業務上の事由によるものであることを前提とする原告の本訴請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(竹村寿 高升五十雄 井上郁夫)

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